- なにをやっても満たされないな〜と感じる
- 子供を可愛く感じられない
- 毎日仕事に行くのが嫌すぎる
- 人生が色褪せてみえる
これまで、ずっと
「自己対話はいいよ〜」
「ノートタイムはいいよ〜」と
お伝えしてきていますが


ここ最近、私自身がそういう自己対話タイムを捻出できないで過ごしていて
一気に心の潤いが消えていくのを体験したので
blogに書きますね。
何をしても楽しくない毎日から、一気に楽しい日々をつくる方法をお伝えします。
contents
自己対話の時間が減ると、心の潤いが消えていく→ギスギス人間
まず一番実感しているのがコレ。
自己対話の時間が減ると、途端にイライラする。
- 日中色んなことを丁寧にできない
- 子育てでもイライラ
- 仕事の楽しさも激減
- 大好きな手帳でさえ、めんどくさく感じる
- 日々の生活が色褪せて見える
- 何をやっても楽しくない
- なんだかわからないけど、枯渇感がある
そんな感じです。
全てが色褪せて見える感覚で、前まで楽しかったことが、楽しく感じられない。
こういう人って、けっこう自覚ある・なしに関わらず、たくさんいると思いますが
原因は「心の潤い不足」です。
うん、もうこれは、わかりきってることです。
自分でもイライラしながら
色褪せ感を感じながら
ってわかっていました。
私の心の潤いとは
私の自己対話タイムは、かれこれ2年くらい「朝」にやってきました。
家族より早起きをして、その時間でゆっくりと楽しむ・・・♡
好きな音楽を聴いて
ミルクティーを淹れて
好きなノートや手帳に向かう。
そんな風にして
自分の心の声を聴いていると
blogに書きたいことが湧いてくる。
そして、blogやInstagramに発信をする。
わたしにとって
- 自分の心の声を抽出すること
- それを発信すること
これが私の心の潤いを生み出していることが
今回でよりクリアに実感しました。
心に潤いがないと
なにをやっていても「楽しい」と感じられない。
花の美しさを感じられない。
生きる喜びを感じられない。
これって
ちょっとした「病-ヤマイ」やな〜と
ぼんやり思ってた矢先に
ぴったりな情報をみつけたところです!
何をやっても枯渇感に陥るのは、「無明の闇」という病だった
これはたまたま、ふと調べたことから繋がったこと。
アメブロに書いちゃったんですが
幸せの特効薬
無明の闇とは
無いときは無いことで苦しんで
欲しいものを手に入れようとしますが
有れば有ったでまた新たな苦しみが出てきてしまい
いつまで経っても心からの幸せを感じられない状態。
仏教の言葉なんですけど、「何をやっていても楽しくなくて、枯渇感を感じる状態」って、やっぱり「病」だったんです。
親鸞聖人は、この病は感謝の気持ちで「南無阿弥陀仏」を唱えることで完治する、と説かれています。
無明の闇から脱するために必要なこと
私が思うのは、この病の状態から脱するためには
やなと思いました。
- お金がないから枯渇を感じるんだ
- あの人がおかしいから、私は苦しいんだ
- 子供がわがままだから、私がしんどいんだ
- 夫が分かってくれないから、私は悲しい
こんな風にして
自分のしんどさを外側の何かのせいにして生きている状態が「病」である。
外側の状況がしんどさの原因なのではないことを知る。
喜びを見出せない心の状態だから、つらさ・しんどさしか感じられない
心の状態が先で、感じることはその後に生まれているってこと。
高熱でしんどい時やお腹が痛い時を想像してみたらわかりやすい。
そんな体調不良の時には、どんなにおいしいものを食べてもおいしくないし、どんなに好きなことをしても楽しくないですよね。
そういう心の状態であるということ。
だから、外側がどんな状態であろうと関係ないということ。
お金がないとか・あの人の言動は、
自分のしんどさと関係がないということ。
問題なのは、あなたの心の潤い不足!
このことを自覚することで
そのしんどい状態から抜け出せます。
外側をなんとかコントロールしようと翻弄して疲弊することがなくなります。
自己対話が心の潤いをつくる
親鸞聖人は、感謝の気持ちで「南無阿弥陀仏」と唱えることで
「心が潤い→生きる喜びを感じられる心になる」
と説かれていますが
仏教の心得がない人へ、それだけを伝えることは、ちょっと強引かなと感じます。
万人に当てはまらないというか・・・
私が思う「心の潤いとは、自分の心に寄り添うこと」
- 心の声を自分で把握する
- 自分が感じていることを自覚する
- 心で感じていることを、外に出す(書く)
私は仏教をちゃんと学んだことはないので、これは想像ですが
仏教と共に生きることで、自分の心と向き合う時間を持っているんじゃないかな〜と予想してます。
親鸞聖人が、何をどう考え・何を思い、その結果「無明の闇からの抜け出し方」を説かれたのか、そのプロセスには興味はありますし、考え方はとても好きなんですが、「無明の闇」から抜け出す具体的な方法は、「南無阿弥陀仏」以外にもたくさんあると思ってます。
「無明の闇、撲滅作戦」は大好きですが、どんなツールを使うかは自由に選びたい(笑)
なんでも公式に当てはめようとすると、自分の心と向き合わなくなる。
むしろ、具体的なツールは、自分の心にフィットするものを、自分でみつけることが一番いいと思う。
それをみつけるプロセスとしての自己対話。
そのプロセスの中で、いつの間にか「無明の闇」からは抜け出せているはず。
一番大切なのは、「自分の心をないがしろにしないで、感じられる心に戻る」ということなので、外側ではなく自分の心を常にみておけば、無明の闇からは抜け出せます。
だから、「自己対話の時間を持つ」というのは、病から抜け出すためのただの「プロセス」であって「方法」ではないということ。
自己対話というプロセスを経て、どんな具体的な方法を生み出し・たどり着けるかはその人のオリジナルです。
私自身はダイレクトに、心に向き合い→心の声をこうやって発信することで、どんどん心の潤いを生み出せているな〜と感じていますが、違う方法にたどり着く人だっているはず。
これは「自分の好み」に意識を向けるからみえてくるものですね。
まとめ
今日のまとめはこちら。
心がギスギスして、何をやっても楽しくない状態は、心の潤い不足。
自己対話の時間を確保して、心の潤いを生み出し、感じられる健やかな心を取り戻そう!
なんだか満たされないな〜という時は、「無明の闇」という言葉を思い出したいです。