今日は、5時起き。
昨日、インスタライブでも、オンラインレッスンのセミナー配信でも「わかってもらうことに自分の安心を置かない」っていうのをお話したんですけど、blogでもシェアしますね。
人生を進めていく上で
「共感されること」って
あってもなくてもいい。私の人生には
共感があるか?ないか?なんて
全く関係ない。昨日は
オンラインセミナー配信をしてて
改めて、その思想が強くなった。共感されたら進むってやってたら
そりゃー停滞するわな。共感ってくだらない。
— さとうみか (@ayaerimica) October 21, 2019
私の気持ちをわかって欲しい
共感されないと不安で進めない
みんなと同じだと安心
「わかってほしい」と他人にすがりつく全人類に知っておいて欲しいことです。
これを知ると
- 他人は関係なく自分のやりたいように生きられる
- わかってもらえない悲しさ、不安が生まれない
- 私は私でいい!と力強く思える
- 群れなくても生きていける
- 本当の自分の人生を創造していける
「共感されたら進む生き方」は、人生が停滞します
共感されたら進む生き方ってダサいよな〜と、改めて思ったきっかけは、オンラインレッスンでのこちらのご質問です。
この件について、じっくり考える機会が与えられたことによって、私らしい考え方に確信できたので、ご質問に感謝します。
みかさん、こんばんは❗️
自己対話をしてみたのですが、モヤモヤが残ってしまい相談させてください。
事実
母からフリマアプリでブランド物のワンピースを出してほしいと言われ、出品しました。
未使用でしたが、ボタンが取れかけていたので、その旨を記入して出品したところ、すぐに購入していただけました。
母が思っていた値段より高く売れたので「なんかぼったくりみたい。大丈夫かな?」「うちにある何かつけた方がいいかな」と言われた。
「納得済みで購入してもらってるんだから大丈夫」「その同じブランド物の物がその人が欲しいかわからないよね?大丈夫だよ」などずっと言ってもモヤモヤするらしく、次の日に夢にまで出てきたと言われた。
気持ち
大丈夫って言ってるのにしつこい!私の評価が悪くなると思って、、って言われたけど、大丈夫って言ってるじゃん。
それに対して言いたいことは言ったけど、あまりにもしつこくてうんざりする。
何が問題?
母は心配したい考えで私とは違う考えと割りきる気持ちでいるが、なんかしっくりこないです。
何回も大丈夫って言ってるのに何でわかってくれないのだろうと悲しいのかもしれない。悲しい気持ちを伝えればよかったのか?
よろしくお願いいたしますm(__)m
この方は、この件とその前にも「夫がわかってくれなくて悲しい」というエピソードをご質問に書かれていたので、無意識で「私と相手は同じ価値観・思想だと安心」という設定で生きていて、その設定で自分で自分を苦しめています。
それについては、オンラインレッスンのセミナーで詳しくお話ししていますので、今日のブログでは、「私の人生には共感は不要!」ってことにフォーカスして書いていきますね。
わかってくれないと悲しいについて
結論から言うと
いちいち分かってくれないことに引っかかっていたら、やりたいことに時間を使えないよ。
私はこう思ってます。
世界には、分かってくれる人もいるし・分かってくれない人もいます。
家族にはわかってといて欲しいと言う人もいますが、私なんかは「なぜ家族だとわかる必要があるんやろ?」って思ったりします。
他人も家族も同じ他人だと思ってます。
俺か、俺以外か。
ローランド
ローランドのこの言葉に対して、ほんとそう!って思ってて、めっちゃシンプルに真理を表現されているな〜と感動しました。
家族といえども他人なんですよ。
他人がわかったか・わかってないかに、私は時間を費やしたくない。
そんな暇があるなら、私は私の心の声を聴くノートタイムに時間を使ったり、私を世界へシェアする時間に使いたい。
わかってくれないと悲しいっていうのは、一種の被害者意識です。
これもオンラインレッスンのセミナーでお話ししましたが、「わかってくれないと悲しい」と訴えれば、他人の思想をある程度コントロールできる。
被害者意識には、そういう便利さがある。
この便利さに溺れている者は、被害者意識から卒業できずにいる。
私も昔は、ずーーっと悲劇のヒロインに酔っていたり、被害者の立場を自分で生み出して「他人から優しさ」をもらおうとしていたけど、そんな乞食的な生き方は、何も生み出さないし、もっとクリエイティブな生き方のほうが楽しいことを知ったので、被害者意識は卒業しました。
もし被害者意識を卒業したいのにできなくて苦しんでいる人は、私のオンラインレッスンを受けたらいいと思う。
被害者意識とは、もう子供の頃からずっと向き合ってきているので、私は被害者意識を扱うプロですって、本気で言い切れる。
オンラインレッスンで1ヶ月みっちり向き合えば、サクッと抜け出せます。
他人がわかってなくてもいいよね
私は「他人がわかっても・わかってなくても、どっちでもいい」って思ってます。
昨日インスタライブで話してて気づいたんですけど、この考えって子供の頃に作られた思想だったんですね。
子供の頃から「わかってもらうこと」ってあんまりなかったし、わかってもらうことで安心するっていうのは、子供の頃に捨ててます。
親にもあまり共感されることもなかったし、親に共感されなくても「私は好きなように生きていける」と知ったので、ほんとに共感の必要性がないですね〜。
共感することも・されることも、積極的にはしない。
「それいいよね〜」と心が感じた感想は伝えますが、わかってないのにわかってるふりの共感はくだらないし、相手にも失礼と思ってる。
「わかってもらえないと悲しい」と、そこに引っかかって止まり続けるよりも、わかってもらえなくてもサクサクやりたいように生きる人生の方が、そりゃー流れがいいことは、簡単に想像できますよね。
共感が不要になると、「孤独神」になれる
最近のマイブームのワードが「孤独神」なのでblogでも使いますが、共感が不要になると孤独が快適になっていきます
最近の私は、孤独を愛しすぎて「孤独神」に昇格しました(笑)
みんな孤独が怖いって言います。
きっとそれは、自分の安心を他人の共感に置いているから。
ここでいう「孤独」っていうのは精神的な孤独のことです。
物質的な孤独というのは、無人島に行くとか・世界大戦が起こるとか・地球に生命体が存在できなくなる危機が起こるとか、とういうことが起こらないと無理ですよね。
精神的な孤独って、精神的な自立と同じことだと思っています。
孤独神であればあるほどに、私の世界の創造はどんどん捗っていく。
孤独に対する嫌悪感は、これで消えていきます。
ということは、この考えが広がれば、孤独に苦しんでいる人も減っていくんです。
みんな自分の人生を創造したいと言いながら、一方では共感を求めて、孤独を嫌ってたりして、その状態ってやってることと望みの辻褄が合ってないです。
自分の人生を自由に創造したいなら「孤独神」で在れ!
まとめ
こういう思想を生み出すことができたのは、過去の私の全ての経験のおかげです。
だから、わかってもらえないという子供時代に感謝しますし、両親にも感謝してます。
- 「わかってくれないと悲しい」は被害者意識
- いちいち被害者をやる生き方は、人生が停滞する
- 共感が不要になると「孤独」が怖く無くなる
- 自分の人生を自由に創造したいなら「孤独神」で在れ!
これは私の生き方の土台やな〜
こういう生き方については、オンラインレッスンで詳しくお話してます。
なかなか一人で抜け出せない人は、参加してみてくださいね。
ご感想はLINEまで〜♡