たくさんの人が「引き寄せ実践」
をしているけど
それがうまくいかない理由って
「障り・妨げ」をなくそうとしているから
嫌なことをなくそうとしているから
です。
「さわり」があるままで
「さわりがさわりとならない」世界が
みなさんが求める
本当の幸せなんですよね。
本当の幸せとは、「障り」が「障り」とならない世界

今日、さきこさんのこの記事を読んで

最近、少しづつ読んでいる
『歎異抄』の「無碍の一道」という言葉と
リンクしました。
リンクした結論をノートに書いていました。
幸せとは
「さわり」をなくしてから
幸せになるのではなく
「さわり」があるままで
それが「さわり」とならなくなること。
さわり=
嫌なこと・気にくわないこと・嫌いな人・悪いこと・病気などの総称で使ってます。
だから、やっぱり
内側のことなんです。
自分の心と繋がってないと
幸せにはなれないんです。
1日のうちで
自分の心と向き合う時間がないと
幸せになることって
すっごく難しいです。
一般的に多くの人が思っている「引き寄せ」は
- いいことを引き寄せるためにやるもの。
- 悪いことを引き寄せないためにやるもの。
- プラスの気持ちにフォーカスし、マイナスの気持ちにフォーカスすべきではないもの。
つまり結局「いい感情」と「悪い感情」がある。
「設定変更」は
嫌な感情を避けるためにやるものではないし
嫌な出来事を避けるためにやるものでもないんです。この先どんなことが起こっても
私は大丈夫 私の「幸せ」には
差し支えない。という
大きな安心感で生きるのが「設定変更」です♡そういう
大信頼&超リラックスの状態で
いつも生きれるようになる。どんなことが起こっても持っていかれなくなる。
(感じないってことじゃないですよ。感動と動揺は違います。)そういう姿勢で生きたときに
結果的に背景がガラリと変わります。でも、何度も言ってますが
オマケなんです。つまり、それ(いいこと)目当てに
やってない。
ほんとそう!それ!
って思います。
設定変更って
この真理をうまくゲーム感覚で
できちゃうから
すごいな〜〜って思います。
でね
最近読んでいる『歎異抄』の中の親鸞聖人は
この真理をこんな風に表現されています。
「念仏者は、無碍の一道なり」
「念仏者は無碍の一道である。
皆さんも早く無碍の一道へ出てください。
無明の闇を晴らしてください。
それが人生の真の目的です。」
という意味です。
仏教の言葉は難しいです。
無碍=妨げがないこと・何ものにもとらわれないこと
と辞書には書いてありますが
生きていて
全ての妨げをなくすことって
とっても難しいですよね。
親鸞聖人は
「全ての妨げをなくしたらいいよ。」
と言っているのではなく
「全ての妨げが妨げとならない心の境地に出てみるといいよ。
それが何ものにもとらわれない
揺るぎない絶対的な幸せですよ。」
と説かれています。
これが無明の闇を晴らして
「いつでも幸せである♡」という在り方なんですよね。

全部、内側の話です。
伝えていることは
さきこさんも親鸞聖人も
一つの真理を伝えているんですけど
仏教は、やっぱり
理解するまでに時間がかかるし
言葉がイチイチ難しいので
簡単が好きな人には
設定変更は
現代版の仏教実践!
カジュアルな仏教!
って感じでオススメです♡
心のことを学び始めると
やっぱり行き着くところは
「仏教」なんです。
特に親鸞聖人の教えは
全てに優しいから好きです❤️
引き寄せがうまくいかないのは、あなたが幸せではないから

昔は、私も
「いいことだけ引き寄せよう!」
という姿勢で
生きている時期がありました。
引き寄せの本を読み漁って
「おお!そうか!やってみよう!ワクワク♡」
といった具合に
いいことが起こったら
「引き寄せましたーーーー!!!」
「ミラクルが起こりましたーーー!!!」
って
なんだか
今振り返ると
「引き寄せた私ってすごい!」って
引き寄せたことにドヤってたんですね。
(恥ずかしい・・・)
はじめはうまくいくんですけど
徐々に「引き寄せた私すごい」に酔い始めて
幸せや楽しさを見失い始めます。
結果ばかりをみてしまうから
はじめの楽しさから逸れて
どんどん苦しくなって
うまくいかなくなる。
今ならわかりますが
「うまくいく」の設定変更が必要だったんです。
うまくいく=結果が出ること
うまくいく=「今、楽しい。以上」でOK!
ここの設定を変えたら
めちゃ簡単にうまくいくんですけど
たくさんの人が「引き寄せ実践」で
うまくいかない理由は
結果が出ることと
幸せをくっつけているから。
「結果が出てない今は、幸せではない!」
と自分でそういうことにしているから。
つまり
引き寄せがうまくいかないのは
あなたが幸せではないから。
ってことです。
無碍の世界は、毎日が極上です♡

私は数年かけて
幸せとは
「さわり」をなくしてから
幸せになるのではなく
「さわり」があるままで
それが「さわり」とならなくなること。
このことが
リアルに私の中に入ってきたんですけど
本当にずっと
これを伝え続けてくれている
さきこさんには感謝です。
去年も

この記事は読みましたが
今年の方が、より深く納得できます。
もう今は
「どんなことが起こっても
私は幸せで在り続けられる♡」って
自信をもって言える。
幸せを創造することが
本当に簡単になったし
いつでも幸せは創造できる。
揺さぶられても
すぐに幸せ・安心ポイントに
戻れる自信もある。
これって
極上の毎日です♡
全部内側で作業が完了することがわかったから
本当に安心です♡ありがとう♡
何ものにもとらわれない
誰にも邪魔されない場所に
私の幸せはある♡
「極上」以外の表現が見当たらない。
これが親鸞聖人の提唱する
「無碍の一道」なのかもしれない。
無碍の世界っていうのは
自分への絶対的な信頼であり
大安心・大満足な極上の毎日なんですね♡
私も色々試行錯誤してきたけど
今のところ
一番簡単やな〜と感じているのが
「設定変更」という生き方です。
私は、ここに気づくまでに
数年かかってますが(笑)
「設定変更」をやったら
もっと早く気づけると思う。
ここに気づいて
それをずっと広めているさきこさんは
ほんとーーーーーーに、すごいと思う!!
エジソンくらいの発明やと思う。マジで。
どんなやり方をするにせよ
ノートタイムは必須ですね!!

毎日ノートに書いてると
いつでも内なる私に繋がれて
「さわり」が「さわり」でなくなる。
幸せのハードルが高かったことに気づけるのも
いつでもノートを書いてる時だった。
幸せのハードルをどんどん下げられたのも
ノートタイムを毎日楽しんでいたから。

まとめ

幸せとは
「さわり」をなくして
幸せになるのではなく
「さわり」があるままで
「さわり」とならなくなる世界
全ては内側の話
全ての「さわり」が
「さわり」とならないから
いつでも・どこでも大安心、大満足で
毎日が極上❤️